時間もないので軽い話を

 先日、人生で初めてビジネス書とカテゴライズされるものを読んでみた。具体的には細谷功地頭力を鍛える』という一冊で、知り合いから基本であると随分とお薦めされたために手を伸ばしたのだが、なんというか、世間のビジネスマンはこれに1800円を支払っているのかと、非常に不思議な気分に浸れた。

 簡単に内容をまとめるなら、変化が激しい昨今の世情において、多くの知識を持っていることには意味はなく、地頭力であるとか、ある限られた情報から自分なりに考えて、全体を把握し、そして解決をする能力こそが求められている。そしてそれを鍛えることに役立つのが、フェルミ推定と呼ばれる問題を解くことである。これはほんの限られた情報から何かを推定する問題であり、例えば「シカゴにピアノの調律師は何人いるか」という課題に対して、自分なりに考える手掛かりを見つけ、そこから結論を出すといった具合となっている。何故これが地頭力養成に繋がるかというと、「結論から考える」仮説思考力と、「全体から考える」フレームワーク思考力と、「単純に考える」抽象化思考力が身につくのだそうだ。つまり、闇雲に情報を集めるのではなく、自分が考えるべきゴールを定め、そこに至るまでの見取り図を設定し、そして枝葉を切り落とすことでシンプルに結論に至る、このプロセスを辿る練習になるということだろう。

 少し自分なりにまとめ過ぎたがだいたいこんなもので、ある程度は妥当なのかとは思われる。ただこんなものはフェルミ推定でなければ鍛えられないものとも思えない。前回か前々回か、このブログで理論の話をしたがあの考え方は、具体的な事象を、理論を使うことで、仮ながらも一つの見方として、全体をシンプルに捉えなおすことを可能にするということであったし、結論から考えるというのはつまり、学術の世界で言えば、Thesisは何であるかをはっきりさせることに他ならない。その意味でこの本にある極意は当然と言えば当然である。
 しかしThesisが何であるかをはっきりさせるためには、ある程度現実の情報を認識しておく必要があるし、またはっきりしたところでその分析を始めるためにはやはり情報が必要になる。情報がありふれている状況では、その情報を如何にして活用するかという応用力こそが求められる一方で、情報が稀少な状況では、それを集めること自体の意義は大きくなる。ケースバイケースがよろしいのではないかと。

 ケチばかりつけていても、よくはない。自分がうんうん唸って悩んで出した結論と同じようなことが書いてあったというなら、つまり端から本を読んでいた方が効率が良かったとも言えるのだし、なにより、自分が当然だと考えたことが他の人にも当然だとは限らないのだから、当然を共有できるという意味で、馬鹿にするほどでもないのかもしれない。少なくとも自分は絶対に定価では買わないが(ブックオフで買った)。