安保法制とセキュリティ・ジレンマ セキュリティ・ジレンマとは何か、について考える

【軍拡の悪循環を懸念】

 −神戸大緊急集会の賛同人になった

 迷った。研究上の不利益を被るのでは、という危惧がないわけでもない。だが、現状では賛成、反対派とも思考停止し、冷静な議論ができていない。今国会で成立を急ぐ理由は明確でなく、政府の主張に説得力はない。

 −憲法学者と安全保障の専門家。法案への立ち位置の違いは

 国際政治学者が、現在の安保政策変更や改憲の可能性を頭ごなしに否定しないのは事実だろう。だが、今の憲法に照らして「違憲」との見解には同意するのではないか。多様な観点から深い議論をすべきだ。

 −法案の問題点は

 抑止力強化が日本の安全に資する、という政府の説明は疑問だ。セキュリティージレンマ(軍拡の悪循環)を忘れている。特に、歴史問題で周辺国の猜疑(さいぎ)心を解消できていない日本は、戦前回帰と警戒され、他国が軍拡を正当化する方便になる。

 −理解できる点は

 停戦合意のある紛争地で活動する自衛隊の駆け付け警護など、国民の理解を得られやすい部分もある。だが、11法案を一括し、解釈変更で集団的自衛権の行使まで認めるような乱暴な手法をとるから、政策変更の可能性を認める研究者も反対せざるを得なくなる。

 ソフトパワーとしての9条も無視できない。あえて平和国家のラベルを変える合理的な理由は見当たらない。(聞き手・木村信行)

 たご・あつし 1976年静岡県生まれ。神戸大大学院法学研究科教授。専門は安全保障。著書に「武力行使政治学」(千倉書房)など。

【新安保法制 私の考え】(11)国際政治学者・多湖淳さん

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1-1.
 このブログ以外で、今般の安保法制について、セキュリティ・ジレンマに言及している記事を初めて見た気がする。
 重ねて記述するが、今回の問題を、日本が軍事国家になる道筋を作ったものという議論(「軍靴の足音」理論)は明らかに乱暴である。別段、理解できないことはない。集団の中で行動していたら、知らない内に流されて望まぬ行動をしてしまう、というのは間々あることかと思う。そういう意味で、いつ自分たちが潜在している暴力性を露わにしてしまうか分からないから、今のうちに自分たちを鎖で繋ぎ止めておく、というのは、何かの漫画の悪役がやりそうなことだ。
 だからこそ、要件(武力行使の3要件)を明らかにし、満たさない場合は武力を用いることは出来ない、とするのである。まあ、3要件の適用範囲をもっと厳格化せよ、或は範囲の絞り方が不適当である、という法律論が出るのは否定しないが、そういう法律論の前に、安全保障をどうするか、という議論が大前提にあって、それを基に法律論を取り進めなければ、何が目的で、何が手段なのか、が判然としないままになってしまう。(参考:安保法制審議では日本の安全保障を議論せよ)


1-2.
 多くの日本の安全保障の研究者は、このブログの前エントリのような議論を展開し、安保法制に賛成する。簡単に言うと、冷戦終結後、という国際関係の文脈の中で、アメリカが積極的な同盟国の防衛から撤退した今、アメリカの世界の警察的な役割を日本もある程度分担していかないと自分たちの利益も守れなくなるぞ、というもの。上記の提言の背景に見え隠れする主張である。

 かような議論に対し、珍しく安全保障のトップレベルの研究者から反対の議論が寄せられている。それもガチガチのアメリカIR(国際関係論)を経ている多湖先生である(今回多湖先生の経歴よく見たら、アメリカの大学に数年留学しているものの、博士まで全て日本(東大)のようですが)。これまで多くの「自称国際政治学者」(実際は単なる地域研究や外交史研究)による賛成/反対が噴出してきており、過半数は見るに値しないものばかりであったが、一先ず、真っ当な研究者による反論が出てきているので、一読はしておきたい。



2-1.
 しかし、セキュリティ・ジレンマとは何か、が普通の読者には分かりづらい。。ここで色々と振り返ってみたい。
 まずアンドリュー・キッド(Andrew Kydd,2015)によると、

Power can increase security, by decreasing the likelihood of defeat in war. However, efforts by a state to increase its power by threatening other states may cause the other states to react in ways that make war more likely, decreasing state security in a process known as the security dilemma (Jervis 1978, Kydd 2005, Booth and Wheeler 2008).

「戦争で打ち負かされる可能性を減少させることによって、パワーは安全保障を向上させる。しかし、別の国を脅かす国家のパワーの強化は、その別の国を戦争を起こしやすい形で反応させるのであり、セキュリティ・ジレンマとして知られる過程を通じて国家の安全保障を低下させる」

A security dilemma is a situation in which each side’s efforts to make itself more secure make the other side less secure, and so both parties end up worse off than they started because of their efforts to increase their security.

「セキュリティ・ジレンマは、お互いが自分たちをもっと安全に、相手国をより安全ではないようにしようという状況で起こり、その結果、両国とも自国の安全保障を強化しようと努力するため、最初の状況よりも悪い状況に陥る」

 この議論の最も有名な論文はジャーヴィス(PDF)(Jervis,1978)だろう(古くはバターフィールドにまで遡るのが伝統らしいが、それは知らない)。攻撃・防御バランスから4象限を作成し、安全かどうかの場合分けをしている(攻撃/防御が有利、および攻撃の姿勢が防御の姿勢と区別されうるか否か、で4つ)。典型例として戦争をしたくない国家どうしで起こってしまった第一次世界大戦が挙げられる(歴史研究としてそれが適切かについてはまた別途議論があろうがとっくに忘れた)。

 何にせよこの議論の大宗は、セキュリティ・ジレンマとは、防衛しか意図していない国家どうしなのにも関わらず、お互いを不信がって双方ともに軍事力を高めあっていくジレンマが発生してしまう、ということにある。 
 IRでは、こうしたセキュリティ・ジレンマをどのようにしたら乗り越えられるのか、について多くの議論が展開されてきた。代表格がアクセルロッドとそのフォロワー(Kyddの師匠にあたるオイも)による、ゲーム理論における繰り返しゲーム(特にしっぺ返し戦略)で乗り越えられるものという主張である(後に多くの反論は寄せられている。アクセルロッド『対立と協調の科学』書評:「しっぺ返し」はそんなにすごいものではありません)。あとは安心供与政策(リアシュアランス/Reassurance…たまに「再保障」などという謎翻訳が当てられているが、いい加減止めるように)による乗り越え(Montgomery,2006)などが挙げられるかと思う。
 いずれにせよ、国際関係論におけるキーワードの一つに、「不確実性(Uncertainty)」の減少の是非がある。相手の意図が読み切れない不確実性の中で、本当に協調できるのか、できないのか、というのは主眼と言える。


つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)

つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)

2-2.
 この記事を書くにあたって調べていたら、良いまとめを見つけた。The Calculus of the Security Dilemma 
(Ramsay, Kristopher W, and Avidit Acharya. “The Calculus of the Security Dilemma”. Quarterly Journal of Political Science 8.8 (2013): 183-203. )

 オフェンシヴ・リアリズム(ミアシャイマー)は国家は無政府状態アナーキー)である国際政治では、安全追求型の国家でもセキュリティ・ジレンマに陥るために不信が増幅していくとし、反対にディフェンシヴ・リアリズム(グレイサー)は減少させていくことが出来る、とする。対してキッドは二者ともを乗り越える形でべイジアン・リアリズムを提唱している。ベイジアン・ゲームを採用し、国家の選好を変化するものと設定することで、信頼に値する国家は高コストのシグナルを発して、信頼に値しない国家と自分を区別させることができ、不信感を減少させることができる、と主張した。(それに対して、このAcharyaとRamsayの論文では、そんなこと無いよ、結局オフェンシヴ・リアリズムが正しいよ、と言っているようだ。)

 次回のブログではこの論文を要約したいと思う。



2-3.
 多湖先生の議論に戻ろう。今回の安保法制は何度も議論される通り、意図は防衛のみにある。自国の安全保障に危急の事態が発生した場合のみ、と要件にもある。しかしながら問題は、いくら本音で防衛の意図しかなくても、他国はそれを信用できるのだろうか、ということにある。もしも我が国の防衛の意図が信頼されなければ、他国との間にセキュリティ・ジレンマが生じ、他国(具体的には中国だろうが)の軍事力はより強大になっていく恐れはある。
 幸いなことに、今の日本は「平和国家」というイメージはついている「日本の安全保障の議論は、平和憲法という見方の破壊を覆い隠してしまう」。それを害して、政治的代償を支払ってまでこの法案を通そうとするのは、攻撃的な意図があるのではないか、そう思われても仕方がない。少なくともセキュリティ・ジレンマという議論を通してみると、このような発想に至るのは当然かと思われる。


2-4.
 こうした議論に対する一つの反論は以下の通りになろう。
 「とは言え中国は攻撃的な意図を持っている。既に持っているのである。であれば、同盟を強化する意味で責任を分担していかなければならないし、日本もきちんと秩序の維持のため、平和の確保のため、自衛隊を柔軟に運営できるようにしなければならないのだ」
 中国の攻撃的な意図は不変なのか、安心供与政策(Reassurance)によって意図を変えることができるのか、あるいは中国の意図は攻撃的ではないのか、という見極めが、日本の政策を左右するとも言える。結局、落ち着くところはそこである。以前、中国研究の書評を(記事)にしたが、結局は、そこなのである。

見極めていかなければならない。






追記
 などと舐めてかかっていたら、実は安保法制とセキュリティ・ジレンマについて書いている記事は他にもあった。以下にリンクを適当に貼っておく

1.まずは時事通信。若干の説明が付されているが、非常に怪しい。

2.明治大学の講師らしいが、出来が悪いので無視。

3.立憲デモクラシーの会憲法学者によるものらしい。安全保障のくだりからは、「冷戦後」という文脈が省かれている。これでは議論は片手落ちだろう。

4.安保法案で考える:日米同盟と2つのジレンマ。一介のブロガーだが、真っ当。入門の教科書的。

5.山陰の新聞っぽい。一言しかないので、論ずるほどでも

6.民主党議員、郡和子。同じく語るほどでもない。その可能性もある、しか言ってないが、「3要件」を踏まえてどうなのか、とかあるじゃん。

7.琉球新報。へー、ウォレスの論文、確認しておこう。

8.同じくどっかのブログ。熱量はあるが、概念そのものは掘り下げていない。

9.戸田真希子という大学教員による主張。これで国際関係論やってる、というのだからキツイ。外交で挽回しろって、ではどうやって? アフリカ研究者ってどうしてこうなんだろう。

10.内田樹。浅い。


以上、追記終わり