いまの安保法制、"平和安全法制"に関するブレーンストーミング

誰かが、国際政治学を学んでいるのに現代の話題が出来ない、というのでは駄目だ、と言っていた。
確かにそうだと思う。
あまり興味は無いけども、たまに、それじゃあ良くないよな、と反省していて、今回はちょっとブレーンストーミングしてみてみる。
事実誤認も交じっているかもしれないが、とりあえずの考える端緒に。


<前提>
・現在、安保法制、平和安全法制の関連法案が審議されている。趣旨は、大きく分けて二つ。(1)自国の防衛強化、(2)国際貢献
(1)はかねてより自国の防衛に対して不十分だと言われていた安保法制に対し、「切れ目のない」法制を整備することであり、具体的には、自衛隊法の改正、周辺事態法の改正である「重要影響事態法」の制定、武力攻撃事態法等の改正、等のラインナップ。
(2)は「積極的平和主義」と呼ばれる、海外の国際貢献へのコミットを可能にすること。


<前提+α…背景>
 そもそも、どうしてこのような議論が必要になったのか。安倍晋三個人のパーソナリティの問題はあれど、それでは賛同者は出て来ない。背景として認識すべきこととして、冷戦後の国際的な構造の変化がある。

 長いこと日本は、海外で戦闘をできる軍隊は持ってこない方針にあった(議論はあるだろうが)。海外で戦う軍事的能力も、意志も、そのどちらをも保有してこなかった。カルチャーとしての平和主義(カッツェンシュタインやバーガー)という理由もあるが、それでも軍隊を保有する野心を持つ政治家はいた。しかし首相になってもなお、それを頑なに唱え続け、実現に移した人間はいなかった。そもそも保有する必要性に迫られたことが無かったのである。 
 第二次大戦後、日本は敗戦国の立場で、軍隊の保有を禁じられた。しかしその間に、冷戦が勃発し、中国は西側の敵国となり、また朝鮮戦争が開戦した。となると、アメリカの西側諸国としては、日本を共産主義陣営に与させることは冷戦の戦線が一歩どころか大きく後退することになる。結果として日本は、通常の軍隊には随分見劣りする形で自衛隊保有することになり、それを補うため、アメリカは日本を核の傘の下で庇護することになった(詳しくは、添谷芳秀のミドルパワー論なんかが解りやすい)。

 冷戦が終結した、ということは、米国は日本を庇護する必要がなくなったことを意味した。アメリカは単極化したことで、日本が共産主義国化するというリスクは無くなったのだから、それも当然である。
 では日米同盟は無くなったのか。当然そんな事実は無く、周知の通り、未だに残っている。日米同盟を再定義したのである。朝鮮問題もある、中国問題も残っている、その中で東アジアの秩序の安定のため、安定した味方国である日本と組んで、日米同盟による地域の安定化を目指したのである。でもそれは、アメリカとソ連が互いに覇権を争っていた時代とは違う。アメリカが組み伏せられる恐怖はどこにもない。日本は自分で自分の身をある程度は守らなくてはいけない、という時代になった。湾岸戦争における、金だけ出して何もしなかった、という批判はその流れの中で出てきた議論であり、時代の変化の象徴でもあった。

 以上をまとめると、冷戦が終結し、アメリカは全面的に同盟国を守らなければならない状況で無くなった。日本が自己を防衛するのに、ある程度の自己負担をしなければならない時代になってしまった、ということである。
 「積極的平和主義」とは、その流れの中で、世界の警察たるアメリカが、世界の秩序を維持する活動におけるバードン・シェアリング、負担の共有化を必要とするようになったために生じた事態、とも言える。


<批判まとめ>
 この議論を踏まえれば、時代が変わって、周辺の状況が変わったのだから、日本が変わらなくてはいけないのは当然なのではないか、と思えてくる。
 でも、批判は生じている。自分なりにこんなもんだろう、とまとめてみる。


憲法論から

 日本が海外で集団安全保障に参画するのは、たとえ後方支援と言えども違憲である、という議論。長谷部恭男の発言が世論を騒がせているが、まあ当然だろう。憲法学上、自衛隊の存在自体は認められているが、個人的には字義通り解釈すれば、際どいと思う。自衛隊は、英訳するとJapan Self-Defense Forces、軍隊では無い、と言い張っているが、まあ、軍隊だろう(定義しろ、と言われると難しいので、今回は避ける)。自衛のための戦力であるし、だいたい防衛という行為は、侵略戦争とセットなのであるから、戦争に巻き込まれた、という意味で、やはり戦争だと思う。門外漢なので、あまり踏み込まないことにするが。


②"軍靴の音"という話から

 左翼の爺さんがよく言っている話。これを認めてしまうと、日本は戦争への道を突き進むのだ、と。いわゆる、軍靴の音が聞こえてきた、というやつだ。耳鼻科に行けばいいんじゃないかと思うが、喧嘩だけ吹っかけてても仕様がない。でも、もしも、もしもの話だが、国民が認めて、戦争の道に突き進むのならば、もうやむを得ないんじゃなかろうか。民主主義なんだから。とはいえ、民主主義と平和主義の比較の話だが、これは悩ましい話なので、割愛する。
 しかし安全保障的には、「自国が戦争に向かいやすくなる」ことに対する危惧、なんてナンセンスで、語る口を持たない。むしろこの議論は、③に係る変質形なんじゃないかと思う。


③戦争に巻き込まれる恐怖

 ②は、自国が戦争に行くのが怖い、というよりも、やりたくない戦争に巻き込まれる恐怖(巻き込むのが同盟国なのか、自国政府なのか、は分かれるかもしれないが)なのだろう。同盟は常に同盟国による戦争への巻き込まれ、というリスクを抱える。やりたくもない戦争をやらされるのである。特に外国に行って、アメリカが戦ってる国々に対し、「俺はアメリカの味方だぜ」と言い張るんだから、それは後方支援とは言え、巻き込まれリスクを高める。そんな思いをしたくない、というのは当然である。


<批判を施策化する>
 しかしこのまま何もしないのであれば、今まで守ってくれたアメリカが守ってくれなくなるかもしれない。反対するならば、するなりの対案が必要になる。勝手に想像してまとめてみる。

憲法論からの議論としては、いい加減、改憲の議論をせよ、ということになるだろう。個人的にはアリだとすら思う。もう少しこの国の国民は、自国安全保障に対して議論をする文化を身に付けてもいいと思う。リベラル・デモクラシーの下で生きる我々としては、重要な施策の変更であれば、国民の意見を取りまとめるのは当然だとすら思うのだが。なお改憲が否定された場合の議論は、③に移る。

②は置いておく

③について。いくつか考えられる。
(1)放っておく。
 アメリカが守らなくなることに対し、気にしないこと。アメリカは同盟から外す勇気は無いだろう。なぜなら、日本の隣には中国がいる。アメリカは、International Securityのサマリー翻訳を見ても分かる通り、かなり中国を意識している。「中国は世界大の覇権を狙ってはいないだろう」みたいな論者もたくさんいるが、そう言わなければならない程度には、アメリカの中でも中国との覇権争いには嫌気がある。であれば、日本を同盟国に残してもおかしくはない。その代り、アメリカのファースト・チョイスではなくなるだろうが。それって本当に大事な事だろうか。
 リスクは、中国に攻められた場合、アメリカが守ってくれる可能性が減るかもしれないこと(同盟理論のうち、見捨てられるリスク、というやつ)、朝鮮問題については以ての外だろう。しかしそれも放っておく。何故なら、そこで防衛力を強化することが、相手国を刺激し、相手国を調子づかせるからである。こちらが穏やかにしていれば、彼らは大人しくしているのではないか。エスカレーションはお互いの引っ込みがつかないことから生じる。なら、初めから引っ込んでしまえばいいのだ。
 しかし常に考えなければならないのは、施政者の意図は、相手国に正しく伝わらない、というジャーヴィスの議論だ(Jarvis, Perception and Misperception)。日本が平和立国だなんて、本当に諸外国に信じてもらえるのかな。
 或いは、この議論は、相手国を調子づかせる、という議論には反論できてない、という主張もできる。オフェンシヴ・リアリズムの前提に基づけば、チャンスがあれば国家は常に拡張する。日本が放っておくとは、つまり一方的にチャンスを作ってあげる、ということではないのか。野球で、ストレートしか投げませんと言って、ストレートしか投げないような、そんな行為に意味があるのか。


(2)内的バランシング=自国の防衛力強化で対応。
 (1)に関連して、いやいや、そんなのは流石に現実的ではない、という議論。つまり、アメリカが守ってくれないなら、自分たちで守ろう、と考えて見よう。(1)では、相手国を刺激することになる、と言っているが、あくまでそこは自衛隊。自分たちだけを守るのだから、刺激する訳が無かろう、と主張してみたらどうだろう(オフェンス・ディフェンス・バランスの議論)。これは現在の状況をどう分析するか、にも関わってくる。
 いまの時代を、東アジア諸国は日本を危険視していない、と捉えるのであればこの議論も成立するかもしれない。逆に、いまの時代、東アジア食は日本を危険視している、と捉えるならば、自衛隊と言えども刺激する、と考えられる。もっと、日本の非攻撃性を訴えたらどうだろうか、とも言えるのかもしれない。しかしそれをやって、効果が無いと苦しんでいる外交官たちの現実もあるので、そこは悩ましいところだろう。 
とはいえ、現状アメリカがやってる役割を日本に切り替えるだけなので、パワーバランス的には全く刺激が増える、ということも無いかもしれない。


(3)周辺事態のみに対応
10の法制を一気に、と考えるのも少し雑駁だ。まずは自国の防衛のための切れ目のない運用を可能にする法案のみ対応しましょう。そうすればアメリカも一先ず溜飲を下げて、日本を積極的に守ってくれるのではないだろうか。後方支援はまたいつか考えることにしますよーアメリカさーん。みたいなのもあってもいいかもしれない。


(4)中国に守ってもらおう。
我ながら酷い発想である。反日と怒られるかもしれない。しかし、アメリカよりも弱い中国。日本を味方にするため、積極的に守ってくれるかもしれない。
リスク? アメリカを敵に回す、という唯一にして最大のリスクがあるくらいかな。


<意見>
 色々まとめてみた。あくまでブレーンストーミング。特段の結論は出してはいない。もっと色々施策はあるかもしれない。
 与野党が争っているのを見ると、もっと些末な、こういう場合にはどうするの、どうなるの、という話が多い。積極的平和主義には既に全員賛同であり、後は運用の部分だけ、ということであろうか。であれば勿体ない。国民が安全保障の大局について考えるチャンスを失っている。個人的には、むしろ改憲の手続きでも何でも踏んで、議論を重ねたほうが民主主義国として健全に思うのだが、どうだろうか。
 このエントリーは全くの思い付きで色々書いているが、調べなおして間違ってました、とか、あるいはまた適宜思いついたら、ちょくちょく編集もするかもしれない。よろしくね。